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私にとっての美味しいもの [ひとりごと]

誰もが「美味しい!」なんて言うものなどありはしない。

ただ、私が食べたいのは
作り手自身、もしくは作り手と私を繋いでくれる人、のいずれかの方が
「愛しくてたまらない!」と私に訴えかけてくれるもの。
有名だとか、高級だとか、そんなことは関係ない。

食べ手だけが幸せを感じるのではなく、
作り手と食べ手は対等な関係でなければならない。
作ってくださる、届けてくださる方たちが幸せでなければいけないはずなのに。

様々な環境の下、悲しくなる出来事が多いけれど、
作り手の方の感じる切なさ、やるせなさは如何ばかりだろうと。
その方々に、ただ「ありがとう。」を伝えたいだけ。それだけなのに。

私にとって美味しいと思うものが、このサイトに目を留めてくださった方にも
愛しいと思っていただけることがあれば・・・と願っています。

これからのために [ひとりごと]

全ての命には限りがあるけれど、他の誰かの命に伝承されていくことはできる。
たとえ小さなお菓子であろうとも、立派な文化として受け継いでいくこと。
作り手だけでなく、食べ手にとっても同じことが言えるのではないかと。

私にとっては母や祖母が教えてくれた家庭の味と同じくらい大切に思うプロの味。
私がプロと思うのは素材とお客と自分自身に真正面から向き合っている方。
母が注いでくれた無償の愛と同じくらいに、プロに対する有償の敬愛を。

誰かの犠牲の上に成り立つ益を享受することはしたくない。
誰しも自分の仕事に誇りを持って生きたいと思うの自然なこと。
適切な対価を受け取り、生計を立て、社会貢献する。
適正な収益を得て(従業員を雇用しつつ)納税を継続すること。
その積み重ねが文化となり、社会を形成していくこと。
ここに私は無償の愛とは違う決定的価値を見出しているのです。

お店はお客無しには成り立たない。
お客の望むものを届けるのがお店の使命であるならば、
お店の運命の(少なくとも一部は)食べ手が握っているのではないだろうか?

私の感情、感覚、環境が変化していくように
今、ここに在る素晴らしいお店たちも変わっていく。ずっと同じでは居られない。
20年以上前に出逢った今はもう無きフランス菓子店の記憶が確実に私の中に在るように
今の記憶を誰かに伝え、更に次の世代へと受け継がれていくための栞になれますように。

日曜の夜明けに、ベッドの中で思うこと [ひとりごと]

2つのベッドがあります。
1つは所謂スタンダードなマットレスのもの。
1つは布団を使うタイプのもの。

どちらにも良い面とそうでない面があるし、
一般的に言われている”良い面”も、私にとって好都合とは思えなかったり
一般的に言われている”悪い面”が、私にとって不都合には感じない事柄だったり
だから選ぶベッドは人それぞれなのでしょう。

ただ、それが自分に一番快適なものなのか?
慣れもあるし、さまざまな理由から本来希望するものが選べない場合もあるから
全ての人が満足なベッドで眠っている訳ではないでしょう。

・・・何故そんなことを?
祖母の部屋の布団用のベッドを見たことを思い出したのです。
膝が悪くなってきて、寝起きするのに高さのある方が都合が良い。
今まで使っていた布団がそのまま使えた方が寝心地が変わらなくて良い。
恐らくそのような理由で布団用のベッドにしているのだろうと。

見た目はベッドでも違うんです。
どっちが良いとか悪いとかじゃないんです。
使う人にとってどっちが、どれが都合が良いかは人それぞれ違う。
同じ人でもどれが良いのかは、その年代にもよって変わってくるでしょう。

何が言いたいのかというと、
違いを認識しないといけない、という至極当たり前のこと。
「ベッドで寝ています。」と言っても、私と誰かとは違うのです。
見た目が似ていても、違うのです。

ずっと布団で暮らしてきた日本人から生まれた布団用ベッドは
便利で快適な面も沢山あると思います。
選択肢がたくさんあるのは良いことではあるけれど、迷ってしまうこともある。
違いを認識した上で、
私にとっての、あなたにとっての一番快適な眠りが得られることが大切なこと。

どっちが良いとか悪いとかじゃなくて
違いを認識した上で選ぶことが大事でしょう、と。
日本の素晴らしいところは、他国の良い面を取り入れて
より快適で便利なものを作り出す力に長けていること。
その反面、自国文化を守ろうとする努力というか
便利なものが出来れば、今あるものも簡単に捨ててしまうとか。

昨年フランスに行って感じたことで
「たとえ不便でも、変えてはいけないこと守り続ける。」ことの素晴らしさ。
便利に慣れきった、便利であることが一番、と思っていた私に
「本当に大切なことは、自分で守ろうという意思が無ければ守れない。」
いまさらの歳になってでも、それに気づかせてもらえたことはありがたいことでした。

違いを認識することは難しいこともあるけれど、
意識しなければわからないこと、気づかないこともあるけれど、
直感だけで選ぶこともあるけれど、
作り手の気持ちを、たとえ少しでも感じて選べる出逢いを大事にしたいと思います。

音楽のようなもの [ひとりごと]

お菓子を楽しみ方は音楽に似ているんだ、と気付いた。
音楽と一言で言ってもジャンルは様々、お菓子も同じ。
多くの場合は録音された媒体だけれど生の演奏はまた格別なのは、アシェットデセールと一緒。

お気に入りの音楽を選ぶ場合、やっぱり好きなアーティストで選ぶことが多いよね。
新曲は毎回気になるけど、ファンになるきっかけの曲など思い入れのある曲は何度でも何度でも聞くでしょ。

ギター1本、ピアノだけ、アカペラ、フルオーケストラも音楽は音楽。
シンプルな構成ほど、そのアーティストのカラーが出るし
規模が大きくなることで、より大きな幅のある活動も可能になる。

クラッシック、流行りもの、
オリジナル、カヴァーという区分けも。

聴く側もさまざま。
どんなジャンルでもOKの人も居るし、このアーティストだけの人も。
テーマを決めて聴くも、気になるものを自由に選ぶも。

だから、「音楽」の一言で括るのは無理なんです。
知らない人にコンサートのチケットやCDを贈るのは無理なんです。

挙げれば挙げるほどお菓子やパンに置き換えても同じでしょ。
だから食べてるだけ~なんて言わないで下さい、ね。

食べる専門です [ひとりごと]

人から比べるとあまりにも沢山のお菓子やパンを食べているので
「自分では作らないのですか?」と尋ねられることも少なくないのですが
「もっぱら食べる専門です。」

何故って?
だって材料に申し訳ないじゃない。
良い食材はプロに任せて美味しいモノにしてもらった方が成仏できるでしょう。

だからこんなに素敵なロールケーキ作ってしまうオトモダチはスゲ~と思う。
ここまでのレベルまで行ければ作る過程も含めて楽しめるんだろうな~

自作すると失敗作でも1ホール自家消費しないといけないのはイタイしなぁ。
少量多品種食べたい派には向かないのです。
その予算でお店で買った方が間違いない、という結論に達するのでした。

名古屋でも好きなケーキがいくつか買えるようになった今、
もはや自作に走る理由は無いなぁ(あくまで後ろ向き)
本当は材料の選び方や作る過程も含めて学ぶ事は大事なんだろうけどね。
講習会(デモンストレーション)には興味がある昨今です。
お江戸に住んでいたら間違いなく行ってるな~

「ありがとう」 [ひとりごと]

小さな町の小さなパン屋さんたち。
朝食に間に合うような時間からオープンしているお店。
残業帰りでも立ち寄ることが出来るお店。
週末にドライブがてらホッと優しい時間を過ごせるお店。

夜が明ける前から定休日でも返上しながら生地を作り、
深夜と言って良い時間に陳列棚を外して丹念に掃除をし、
フィリングやサンドイッチの具も丁寧にこしらえて、
季節の果物でコンフィチュールを炊き上げ、
夜遅い時間のオーブンではラスクを焼き上げて・・・

そんな目のまわるような忙しさでも、いつも笑顔で迎えてくれる。
ただ、美味しいパンを届けたいという思いだけで。
そんな真面目なパン屋さんが身近にあるのは幸せ。
「いつもありがとうございます。」と声をかけてくれる。
そんな幸せなパン屋さんは、どんな町にも、ちょっと探したら見つかるのかも。

こちらこそ、毎日美味しいパンを焼いて待っていて下さってありがとうございます。





行列の先にあるもの [ひとりごと]

先日仕事場で巷で人気のロールケーキをいただきました。
たまたま午後3時からの販売時間に通りかかって、すぐ買えそうだったから、と。
並んでいたのは管理職らしきおじさま、近くの劇場帰り風のおばさまが主流だったそうです。
一人で何本も買いこんでいく方も多く、ショップのエコバッグで通ってる方も見かけたとか。
週末も大層な行列だそうですが、平日も並ぶ客層がいる立地に出店するあたりは堅いなぁ。

このお菓子のことを知ったのは、数年前に大阪のオトモダチから聞いたんだっけ。
近年あれよあれよとお江戸や尾張に手を広げ、果たしてどこで作っているんだろうなぁ??なんて勘ぐりたくもなります。
外箱の原材料欄を見ると、生クリーム以外に植物性ホイップ・香料とありました。

皆でいただきましょう、と珈琲を淹れ、ロールケーキを切り分けると・・・う~ん、このクリーム、この生地。
せっかく買ってきてくれたのに、ゴメンナサイとも言えず。
哀しいかな、お昼に食べたメックとコムトゥジュールの美味しいパン&焼き菓子たちの記憶を無残に消し去っていくのです。

買ってきてくれた方は、きさ情報で栄泉堂の品野ロールを食べてリピ買いもしてくれていました。その方曰く、
「品野ロールを知ってしまったら、コレをもう買う気にはなれないなぁ。」
「でも知らなかったら、まぁ美味しいと思ったかも。」
・・・まぁそうだよね。

行列ができる
あんなに並んでいるんだから美味しいんだろうと思う
並んでみる
長い時間並んでしまうと、手頃な値段なら2つ3つと買ってしまう
余分に買ったものは知り合いにお裾分け
貰った方は「わざわざ並んで買ってきてくれたんだ~」と嬉しく思う
そう思って食べると美味しさも倍増
今度は誰かのために自分が並んで買おうと思う
以下、繰り返し。このループが終わるのは、次なる流行お菓子が登場したとき、ということか。
シナボン、ベルギーワッフルとか、あったよね~

「品野ロールは1000円、これは1200円。瀬戸市郊外で家族だけでやってるお店と、都心テナントで沢山の人を雇ってやってる会社。どっちが材料代がかかっているか?と考えたら・・・」
「そりゃ栄泉堂に行くでしょう。」
「でも車のない人には行けないよね。瀬戸電+JRバスなんて使ったら・・・」
「もう1本買えるし。」
手頃な値段で、今の日本人の7割くらいが美味しいと思う味で、人が集まるところで出店すれば、ね。
自分のため、というよりはお遣い物にするならば、あなたのために並んで買ってきました!と先様にわかって貰えるものになるのでしょうか・・・

コレを美味しいと思ってます。あなたのお口にも合うと思って選びました。
それだけじゃダメなのかなぁ?

 [ひとりごと]

遠いのに気付くとかなりの回数お邪魔しているお店があるのに
ご近所でもなかなか足が向かないお店もある。
きさ家の生活サイクルと合うか合わないか、という事も影響しているのですが、
遠くても、あのお店に行きたい、と思えること。
「アレが食べたい。」じゃなくて
「あの人(たち)に逢いたいなぁ。」と思えること。
・・・そんな想いは不思議と伝わるのですね。そして大切な縁になり。

「いつもフットワークが軽いですね!」と言われるきさ家ですが、
その原動力は”美味しい”を用意して待ってくれている”愛しい人たちの笑顔”なのデス。

高い100円、高くない1000円 [ひとりごと]

もう数年来スーパーやコンビニで売っているお菓子やパンを買っていません。
(本当は口にしたくないのですが、非礼にならない程度に口に運ぶことはあります)
日本のメーカーは優秀だから、安くてお腹がいっぱいになるものを作る技術は素晴らしいと思います。
そのお蔭でいつでも手軽に食べられるのだから、大切な役割を担っているとも言えますが・・・

100円のパン、毎日何万個も焼かれてスーパーに並ぶパン、大々的に広告をして、売れ残ったら廃棄される、もしかしたら自分で作った方が美味しいんじゃないかと思えるパンは、高いなぁと思う。
1000円出すから作ってみ?と問われても無理。技術の問題だけじゃなく、かけられた手間暇を考えると絶対に無理。そして食べて「幸せ~!」と感じられるパンは、決して高くない。

ホントは感覚が麻痺していて、値段を見ずにパンやお菓子の表情だけを見て買っているんだけどね(^^;


好きなお店の条件 [ひとりごと]

お店の人(オーナーさん+アルバイトを含むスタッフ)に
「あなたがお客さんだとしたら、このお店(商品)を選びますか?」
と聞かれて、「はい。」と答えてくれる(であろう)お店が好き。
↑実際に尋ねることはありませんが、雰囲気で判るでしょ。

お店と商品のことを愛していれば、お客さんにも(大抵は)伝わります。
お金と引き換えに商品(サービスの提供)を受けるだけ、ではない関係。
美味しいものを提供したい、素敵なひと時を楽しんで欲しい、という思いが伝わってくると
多少遠かったり不便だったりしても、そのお店に足を運びたくなるもの。

「いつも美味しいものを作り続けてくれてありがとう」と、お客さんが言いたくなるお店。
そんなお店を愛してるのです。



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